このブログをはじめて間もない頃(って、もう一年以上も前ですね・・・!)、ウィレムスの生涯についてご紹介した際に、影響を受けた人物としてレイモンド・ダンカン(Raymond Duncan, 1874-1966)という人の名前を挙げたことがあります。
このダンカンは、古代ギリシアに理想を求めて20世紀のパリで独自の活動を展開していた人物でした。
その思想や活動がなかなか興味深いので、今日はダンカンについてご紹介してみたいと思います。
レイモンド・ダンカンについて
レイモンド・ダンカンは、現在でもモダンダンスの先駆者として知られるイサドラ・ダンカンの実兄で、イサドラのダンスにも多大な影響を与えています。
たとえば、イサドラの古代ギリシアへの憧れや裸足で踊るスタイルなどは、レイモンドの影響によるものといわれています。
ダンカンの生まれはアメリカのサンフランシスコですが、ロンドン、ベルリン、アテネ、そしてパリ・・・と世界を転々としました。
そして、ある時はダンサー、ある時は詩人、またある時は哲学者として多方面での活動を行い、当時の若者たちを魅了していました。
それにも関わらず、現在ではイサドラがあまりに有名であるために、レイモンドについては「イサドラの兄」というところまでしか触れられないことが多いようです。
ウィレムスはダンカンから影響を受けたことを明言しているにも関わらず、従来のウィレムスに関する研究では、ダンカンという人について「イサドラの兄」ということ以上の情報は明かされてきませんでした。
でも、イサドラに関する本を読むと、ごくまれにレイモンドに関する情報に出会うことができます。
古代ギリシアに理想を求めたダンカンと日本人画家の関わり
そんなダンカンの思想は、「古代ギリシアの原始的な生活に還れ」というもので、20世紀のパリにあって、それを徹底的に実践していました。
こちらがダンカン本人の写真です。
もう一度いいますが、20世紀に撮影された写真です。
私は初めてこの写真を見たとき衝撃を受けました。
でも実際に、このように手織りのギリシア風ガウンを羽織り、髪をおかっぱに刈り、頭にはちまきをしてサンダルを履き、街に出てパフォーマンスを行うっていたようです。
ダンカンは、こうした古代ギリシアのスタイルをずっと崩さず貫いたといいます。
そしてダンカンは、パリ郊外のモンフェルメイユに弟子たちとギリシア的な共同生活を送るコロニーをもっていました。
ウィレムスは、ダンカンとの出会いを機に一時期ここでの共同生活に参加し、家具もない部屋で自給自足の暮らしを営んでいたというわけなのです。
そして、実はなんと、日本生まれの画家、藤田嗣治(レオナール・フジタ)と川島理一郎も、ウィレムスと時期は異なっていますがこのコロニーでダンカンを囲む共同生活に参加していたそうなのです。
ここで共同生活を送っていた時のフジタの写真が、《Life into Art》という洋書の中に残っています。
(ちなみに《Life into Art》の編者の一人ドレー・ダンカンがレイモンドの孫であるため、この本はレイモンドにも多くの光を当てた貴重なものとなっています)
フジタのことを先に書いてしまいましたが、それより前にダンカンと出会ってその思想に共鳴していたのは、栃木県出身の画家、川島理一郎でした。
後からフジタがパリに来て川島と知り合ったことにより、一緒にダンカンに弟子入りすることになったようです。
第一次世界大戦が始まると川島は帰国しますが、藤田はパリに残り、引き続きダンカンを手伝っていたということです。
しかし、1920年代になって藤田が画家として有名になると、なぜか川島やレイモンドについて全く語らなくなりました。
でも藤田の作品には古代ギリシアの壺絵から影響を受けたと考えられている作品も残っており、せめて藤田がダンカンについて言及し続けてくれていたら、今私たちがダンカンについて得られる情報ももう少し多かったかもしれないなと少し残念に思います。
ダンカンについてはもう少し書きたいことがありますが、長くなってきましたので、いったんここまでにします。
折しも今年は藤田嗣治の没後50年。
上野公園内にある東京都美術館では先月末から10月8日まで没後50年 藤田嗣治展が開催中です。