「聴く力」を育てる音楽教育

「聴く力」を育てる音楽教育

エドガー・ウィレムスの音楽教育研究

ウィレムスの音楽教育との出会い

ウィレムスの音楽教育について研究していて、実は一番よく聞かれるのは、

 「どうやってウィレムスの音楽教育と出会ったの?」ということです。

 

それなのに、このことについて今まで書いたことがありませんでした。

せっかくなので、今日はウィレムスとの出会いと、研究していくに至った経緯を振り返ってみたいと思います。

(話しだすとそれなりに長いので、いつもはなんとなく端折ってお伝えしてしまいます。

でも、ここではあえてそれをしていません。

結構長文ですので、ご興味のある方だけ読み進めていただければと思います。)

 

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最初の出会いは国立音大時代のソルフェージュのゼミ

ウィレムスとの最初の出会いは実はかなり前で、さかのぼること十数年前、私が国立音楽大学山口博史先生のソルフェージュのゼミに所属していた時です。

当時使っていた教材のひとつに、マリー・クロード・アルバレタスの音程のための練習教材(Lire la musique par la connaissance des intervalles)がありました。

 

www.amazon.fr

 

このテキストの最初のページに、以前の記事でご紹介した、「できの悪い音楽家たちは〜」から始まる言説が引用されていたのです。

 

kazuenne.hatenablog.com

 

できの悪い音楽家たちは、彼らが演奏するものをきかない(entendre)

並以下の音楽家たちは、彼らが演奏するものをきく(entendre)ことはできてもきいて(écouter)はいない

平均的な音楽家たちは、彼らが演奏したものをきく(entendre)

よい音楽家たちだけは、彼らがこれから演奏することになるものをきく(entendre)

 

このテキストはフランス語ですので、山口先生がその場で日本語に訳しながらご紹介くださったのですが、とても印象的な内容で、ハッとさせられました。

そのため、この言葉自体はずっと後になるまで私の中に残り続けることになりましたが、それが「ウィレムス」という人の言葉だとは、当時はまったく意識していませんでした。 

 

大学院修士課程で研究の方向性について思案

大学院修士課程でソルフェージュ科に入学するとすぐ、今後の自分の研究テーマを決めることになりました。

研究云々に関わらず、ずっと私の根底にあった関心ごとは、「人は音をどのように聴いているのか?」ということでしたので、まずはそこが出発点となりました。

というのも、私はたまたま生まれつき絶対音感をもっていて、ドレミを全然知らないうちからテレビで聞こえてきた音楽をピアノで弾いていたそうです(母親談)。

私にとってはその状態しか知らないので、逆に絶対音感をもたない人には音や音楽がどんなふうに聞こえているのか、例えば音楽の何を聴いて「この曲を好きだ」と判断するのか、ずっと興味がありました。

そして、これまで日本の音大入試やソルフェージュの試験では、音の高さや長さを正しく聴き取って書けることや、楽譜を見て正しく歌えることが重視されてきたので、たまたま絶対音感をもつ人はほとんど苦労することなく、その恩恵を受けてきたといえるでしょう。 

 

これでめでたしめでたし、であれば話は早くて、「どうしたら聴音で高得点を取れるか?」なんていう研究をしたかもしれませんが、残念ながらそうではありません!

 

聴こえた音を正しく書いたり弾いたりできるというのは、音声をパソコンに打ち込むのと同じようなもので、一つのスキルではあっても、音楽家として目指すべき最終地点ではないのです

絶対音感って不必要なまでに神格化されている印象を受けますが、それがあることが音楽家としてすぐれている条件になるかというと、残念ながらそうではないんですよね。

だとしたら、音楽家にとって求められる、理想的な音の聴き方とはどのようなものでしょうか・・・?

 

あれこれ思考を巡らせていくうちに、音を聴いたからわかるのではなく、楽譜に書かれた音楽が自らの内側で豊かに鳴り響くこと、イメージの中で音を聴き、音楽を創り出す力、すなわち「内的聴感」の存在が重要なのではないか?というところに行き着きました。

こんな経緯から、内的聴感を育成するための研究を始めていくことになったのです。

 

ウィレムスの言説との再会

「内的聴感」というところに視点を絞って調査をしていくと、その重要性を唱える言葉はたくさん見つかりました。

でも、私が一番知りたかった、「どうすれば内的聴感を育てることができるのか」について、はっきりと言及してくれているものはなかなか見つかりませんでした。

(間接的に、これは内的聴感を育てるのにも貢献するだろうな、とこちらで判断できるものは国内のものでもたくさん見つかりましたが・・・。)

 

そんなある日のこと、いつものように芸大のソルフェージュ研究室で本を探していると、《L'oreille musicale》というタイトルが目にとまりました。

フランス語で、直訳すると『音楽的な耳』。

当時は全く聞いたことのなかった、エドガー・ウィレムスという人の本です。 

 

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「おっ?」と思って手に取り、パラパラめくってみると、目次の中に〈l'audition intérieure(内的な聴覚)〉という節が含まれています(全2巻のうちの第2巻の方です)。

ドキドキしながらそのページを開いてみると、驚いたことに「できの悪い音楽家は〜」から始まるあの言説が原文で書かれているではありませんか!

「これ、アルバレタスの教材に載っていた言葉だ・・・!」とすぐに思い出し、帰宅するなりアルバレタスの教材を開いて確認しました。

そうしたら、言説の下にはちゃんと「Edgar Willems」と書いてありました。

「そうか〜、あの時ハッとしたこの印象的な言葉は、ウィレムスという人のものだったんだ・・・!」と、点と点が線で繋がったような感覚でした。

 

さらに、この本の「内的聴感」の節を見ていくと、なんと、〈Comment développer l'audition intérieure?(どのように内的聴感を発達させるか?)〉などという項まで立てられていました。

そこには、「内的聴感を育てる」という視点から考案された具体的な実践例が複数、挙げられていました。

私としては、「やっと見つけた・・・!」という気持ちでした。

修士論文ではウィレムスの「内的聴感」の部分にフォーカスし、その他の人の言説などともあわせて、色々ある中の一つとして紹介しました。

 

日本では聞き慣れないウィレムスという人物、日本語の資料はほとんどない状態でしたが、調べてみるとフランス語では本もたくさん書いているし、その生涯も何やら特殊だし、思想の幅も広くて奥深そう・・・。

 

博士課程ではウィレムスに焦点を当てて研究

ウィレムスに興味をもった私は博士課程に進み、今度はこの見どころ多き人物について研究していくことになりました。

まずは一通りのウィレムスの本を取り寄せるところから始まりました。

いつかの記事に書いたことがあったかもしれませんが、ウィレムスの本を入手しようとした場合、Amazonでポチッというわけにはいかず、ウィレムス自身が生前立ち上げたPro Musica社にフランス語でメールを送る必要がありました。

そうして本を入手してから、修士課程の頃からお世話になっていたフランス語ゼミにも引き続き出入りさせていただき、先生や仲間たちのお力もお借りしてひたすらウィレムスの本を読み進めていきました。

博士課程での研究は本当に大部分がフランス語との格闘で、ものすごく時間をかけて読んでやっとちょっと内容が掴めたかな、というペース感だったため、「これが日本語だったらどんなに良いか・・・」と何度も思いました。

でも、そのおかげでウィレムス国際会議やウィレムス国際セミナーに参加して、世界各国でウィレムスの音楽教育に携わっている情熱的で愉快な指導者たちともたくさん出会うことができました。

(行く前には半年間、フランス語会話のレッスンにも通いましたが、その半年間よりも実際に現地で過ごした数日間の方が語学面ではグッと成長できたと思っています。三日目ぐらいから言葉の聞こえ方が変わりました。)

こんなふうにかけがえのない経験もして大いに楽しみながら、時に苦しみ悩みながら研究を進めていき、今に至ります。

 

私自身まだまだウィレムスの本も全ては読み切れていないし、すでに読んだ部分についても理解しきれていないことやこれから知りたいと思っていることがたくさんあります。

掘れば掘るほど他の行き先が見つかるような感じで研究の方向性は果てしなく広がっており、一人ではとてもやり切れないな・・・と、時々途方もないような、息苦しいような気持ちにもなります。

だから、研究を深めていくことはこれからも地道に継続していかなければなりません。

けれどその一方で、「音楽教育」という分野は特に、研究の成果を現場に還元してこそ生きるものだとも思っています。

いつまでも研究で得られた成果を私一人の胸にとどめているだけではもったいない、宝の持ち腐れになってしまう、と思います。

だからこそ、私はこうして細々とでも誰もが手軽にアクセスできるような形でブログを書いたり、本を出したり、自分にできることをして、情報を発信&共有していくことにも力を注いでいきたいと考えています。

ウィレムスの音楽教育を一緒に面白がってくださる方の存在が、研究や発信の大きな原動力になります。

皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!