20世紀のパリで徹底した古代ギリシアの生活スタイルを貫き、パリの郊外モンフェルメイユで弟子たちとの共同生活を送っていたレイモンド・ダンカン。
今日は、このダンカンについて、前回の記事に引き続き書いていきたいと思います。
パリのアカデミア・レイモンド・ダンカン
ダンカンは、パリにアカデミア・レイモンド・ダンカンを創設しました。
アカデミアは16世紀の三つの建物からなり、印刷所、劇場、画廊、講堂ホール、織物工場などをもっていました。
アカデミアとして使われていた建物は、パリのセーヌ通り31番にあります。
私も以前パリに出かけた際、アカデミアのあった場所を散策してみました。
(私は旅先で自分の尊敬する過去の偉人たちが暮らしていた、あるいは馴染みの深かった場所を散策するのがとても好きです。その人もこの道を歩いたかもしれないと思うと気分が高揚してきます!)
この建物に貼られたプレートを見ると、1929年から1966年までは確かに「アカデミア・レイモンド・ダンカン」として使われていたようですが、さらにその一世紀前の1831年には、女流作家のジョルジュ・サンドが暮らしていたようですね!驚きました。
音楽を専攻する身としては、どうしてもサンドといえばショパン、そしてノアンでの暮らし・・・という印象が強いのですが、もっと前にパリを訪れた際にもモンマルトル界隈でサンドが暮らしていたことを示すプレートが掲げられていたのを見た覚えがあります。
特に探していたわけじゃなくてもこれだけ見つかるということは、サンドはパリ市内もけっこう転々としていたのでしょうか?
話がダンカンから逸れてしまいましたが、アカデミアの中にあった印刷所からは、ダンカンがさまざまな大学で行った講演の原稿なども本として出版されています。
代表的なものには1912年のサン・アントワーヌ・ポピュラー大学での『労働の真の目的(Le vrai but du travail)』のカンファレンス原稿があります。
この原稿は以前web上でフリーダウンロードできたため私は持っているのですが、今探してみると見つからないようです。
他に、1914年5月にギリシア大学地理学部で行った『ダンスと体操(La Danse et la gymnastique)』の講義原稿もありますが、こちらはなんと、貴重な現物が日本にあります!
国立国会図書館の「蘆原英了コレクション」の中に収められていて、実際に国会図書館に行けば誰でも読むことができます。
ただし、とても薄くて紙の老朽化も著しい本なので、ページも息を潜めてそぉーっとめくる必要があります。
閲覧できなくなってしまう日も近いかもしれないな・・・と思いました。
当然複写はできません。
そして、蘆原英了先生とダンカンの関係も、興味があります。
いずれにせよ、こんなふうにダンカンが印刷所を作って本を出版していたということが、後のウィレムスにも影響を与えたように思われます。
このブログではすでに何度も書いてきている通り、ウィレムスも自分の本を出版する目的でプロ・ムジカという出版社を創設しました。
そのおかげで私たちは今もウィレムスやダンカンの思想に直接触れることができるので、ありがたいことですね。
なお、ダンカンのダンスは、ギリシアの壺絵のポーズを忠実に再現するようなものだったといわれています。
たとえば印刷作業を行う際にもダンスのような身体の動きを崩すことなく行動していたそうで、日常生活の中でも常に芸術的であることを意識していたのですね。
ダンカンの理念は「芸術と生活との完全な一体化」、つまり、「ライフスタイルとしてのダンス」という実験的要素を多分に含むものだったのだろうと思います。
これまで二回にわたってダンカンについてご紹介してきました。
イサドラについての情報はたくさん入手できますが、レイモンドについては、前回の記事にもご紹介した《Life into Art》や海野弘先生の『モダンダンスの歴史』などに詳しく記載されていますので、ご興味のある方はぜひお読みください!
それにしても、フランスに行きたくてたまらない今日この頃・・・。
今年の夏に渡航を予定していたのに入院のため行けずじまいで、とても残念でした。
また早く行けますように!