「聴く力」を育てる音楽教育

エドガー・ウィレムスの音楽教育を日本で初めてご紹介するページです。

母国語と音楽能力の発達過程の関連性

ウィレムスの音楽教育を実践しているフランスの音楽教室Ryméaのウェブサイトには、以下のような説明があります。

「音楽は言葉であり芸術である。ゆえに、母国語と同じように発達させることができる。(中略)最初に子どもが話す時にはまだ読み書きを学んでいないのと同様に、私の音楽教育はト音記号からではなく、音響の世界における能動性と感受性を浸透させることから始める。」

 

ウィレムスは、乳児が自然に母国語を話すようになる過程に着目し、そこに、子どもたちが音楽的な感覚を習得していく過程を照らし合わせることによって、自らのメソッドを構築しています。

 

以下は、ウィレムス自身による「言語と音楽の発達過程」の対照表です。

 

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言語と音楽の心理学的な発達順序

(表の写真、見にくくてごめんなさい。本当はweb用に作成したかったのですが、やり方がわからず、ひとまず博士論文に掲載したものを画像として載せました。) 

この表は、ウィレムスの著書『音楽教育の人間的な価値(La valeur humaine de l'éducation musicale)』に載っていたのを邦訳したものです。

左側が言語の習得過程、右側がそれに照らし合わせて検討された音楽の習得過程です。

なお、言語の発達過程については、20世紀スイスの心理学者ジャン・ピアジェ(Jean Piaget, 1896-1980)による子どもの発達に関する心理学領域の知見に基づくものだそうです。

 

表を見ていただくと、言語の最初は「声を聴く」ことから始められていますね。

最初に母親や家族の声、周囲の音を「聴く」こと、発音源を目で追いかけて「見る」こと、そのうちに言葉の抑揚を捉えたり単語を覚えたりして「記憶」していき、喃語だったものから次第に単語を「模倣する」ようになり、徐々にその意味を理解して自分の言葉として発するようになっていきます。

読み書きを覚えることは、このうちのどこかのタイミングで始められるかもしれませんので明確に線を引くことは難しいかと思いますが、いずれにしてもある程度話が通じるようになってから教えないと成立しにくいかと思います。

 

そう考えると、今当たり前のように行われているピアノやヴァイオリンなどといった「楽器ありき」の状態から始められるレッスンの多くは、音楽の何たるかを知らないうちから音の高さや長さを示す記号である楽譜を学び、「自分がどんな音を表現したいか」という着想をもつことなしに楽器演奏の技能を獲得し、そうこうしているうちに「聴く」と「聞こえる」の違いもよくわからないのに「音をよく聴いて!」なんてご指摘を受けたりして、一度にあれもこれもと多方面の能力を育てなくてはならず、教える方も習う方も、なんて負担の大きい作業をしているんだろうと思ってしまいます。

現状を批判したいわけではなく、現場の先生方の並ならぬご尽力や子どもたちの努力を踏まえた上で、改めて、その一つ一つが大変なことだと感じるのです。

 
その点、ウィレムスの音楽教育では、これまでにもご紹介してきた通り、最初の段階で音の高低強弱長短に加え、残響倍音音楽的なゆれまで聴き分ける耳を育てるための活動を徹底的に行います。
それらの活動を発端に、歌い、即興演奏をし、音楽を身体で捉えて表現する活動もしてから、楽譜の読み方や書き方を学び、一般的に「ソルフェージュ」といった時に想像されるような視唱や聴音も行って、ようやく楽器演奏の個人レッスンに入ることができます。
この一連の流れを踏まえた具体的な実践プロセスについては、以前記事にしたことがありますのでよろしければお読みください。
 
 
上記の記事にも少し書いたのですが、楽器の演奏から始められる音楽教育に馴染み深いと、ウィレムスの音楽教育は一見、「なんて遠回りなんだろう・・・」と思えるかもしれません。
でも、この道筋を通って育ってきた子どもたちがいよいよ楽器に触る時には、すでに楽譜を読むことができるし、楽曲の情緒を理解することができるし、各々の内にたくさんの「音色のパレット」をもち、「自分はどんな風に演奏したいのか」という音楽的な着想をもっています。
何よりも、その時点まで継続している子どもたちはみんな「音楽が好き!」です。(途中で辞めてしまう子どもがいるのかどうか、いるとしたらどのくらいの割合なのか、この辺りの事情についてはまだ私も調査できていません。)
いずれにしても、「楽器ありき」ではなく「音楽ありき」、楽器はあくまでも「音楽を表現するための手段」として機能しているといった感じです。
この点が、ウィレムスの音楽教育の最大の強みなのではないかと思っています。
「そうはいっても、そんなにうまい話はないのでは・・・?」
最初にこんなふうに疑っていたのは他でもない私自身で、国内で文献研究だけしていた頃には正直半信半疑でした。
しかし実際に国際会議に参加してみてびっくり、子どもたちに何かを強いることなしに本当に楽しいレッスンの中でさまざまなことが実現されていたので、初日が終わる頃にはすでに魔法にかかってしまったというか、すっかり夢中になっていました。
 
そんなわけで、私個人としてはウィレムスの音楽教育について「本当に大事なこと」からじっくり与えていく「急がば回れの教育法」なのだと感じています。