また少し日が空いてしまいました。
このブログ、ご覧の通りのまばらな更新頻度で、その上、「ウィレムスの音楽教育を世の中にご紹介する」という若干マニアックな趣旨をもっているにも関わらず、ここのところ読みに来てくださる方が少しずつ増えているようです。
大変嬉しくありがたいのと同時に、ピリッと身が引き締まる思いです。
これからも皆様に継続的にお読みいただけるよう、少しでも有意義と思われるトピックをできるだけわかりやすく、さらに更新頻度もあげていけるように頑張ります!
引き続き、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
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さて、今日は、前回の『2音から5音の歌』に引き続き、ウィレムスの歌のためのテキスト『No. 2:音程の歌(Chansons d'intérvalles)』と『No.2B:音程の歌 ピアノ伴奏付き(Chansons d'intérvalles avec accompagnement de piano)』についてご紹介します。
(この二冊、掲載されている楽曲はほとんど同じです)
実はこれ、前々から私がご紹介したかったテキストです。
なぜなら、この『音程の歌』という概念やその指導におけるプロセスは、ウィレムスの音楽教育が大切にしている、知識を与える前に経験させるという思想がギュッと盛り込まれているように思えるからです。
ちなみに、「知識を与える前に経験させる」というポリシーそのものはウィレムスのオリジナルというわけではなく、この時代の教育学分野における一つの動向ですので、機会を改めてまた記事にできればと思います。
『No. 2:音程の歌』
それでは、今日の本題である『音程の歌』について。
最初にご説明しておくと、『音程の歌』が指し示す「音程」とは、曲の冒頭の異なる二音間の音程のことです。
例えば《きらきら星》だったら、ドードーソーソーなのですが、ここでは最初のドードーの完全1度を除いて「完全5度の歌」とされます。
すでに書いてきたように、ウィレムスの音楽教育実践は4つの段階からなりますが、「音楽を愛することを学ぶ」ことを目的とした最初の2つの段階では、『音程の歌』に載っている歌たちをとにかくひたすら、できるだけたくさん、みんなで楽しく歌います。
こうして導入期にたくさんの歌に親しんだ子どもたちは、第2段階くらいになると、指導者がピアノである二つの音程、例えば完全5度の場合「ドーソー、ソードー」のように上行形と下行形を提示すると、条件反射的に「きらきら星〜!」と、その音程から始まる曲名を言えるようになってきます。
たくさん歌っているうちに、色々な歌の開始音程の響きが頭の中にインプットされていくんですね。
そうしてきちんと「聴く力」が育ってから、具体的には第3段階に入ってから、指導者はようやく「《きらきら星》の最初の音程は完全5度だよ」ということを教えられるようになります。
突然「完全5度」という名称とその音の幅を理論的に教えられてもそれがどんな響きであるか想像することは難しいと思いますが、多くの歌を介してあらかじめさまざまな音の響きを子どもたちの内側に蓄積しておくことによって、誰もが頭の中で音の響きを思い浮かべられるようになり、理論だけが一人歩きしてしまう状況を避けられます。
ウィレムスの音楽教育ではこうした細かな段階設定によって、音の響きに対する感覚と知識とが乖離しないように留意されています。
ちなみに、『音程の歌』に収められているのはもちろん完全5度の歌だけではありません。
短2度、長2度(半音と全音)、短3度、長3度、完全4度、完全5度、短6度、長6度、短7度、長7度、完全8度の歌があります。
この中には増減は含まれていないようです。
あと、『2音から5音の歌』と同様、この曲集も多くの歌は長調で書かれていて、短調や教会旋法はわずかです。
また、どの曲も8小節から12小節程度の短い曲になっています。
『音程の歌』の意義と問題点
『音程の歌』の序文の中で、ウィレムス自身が次のように語っています。
音程を学ぶことはこれまでぞんざいに扱われてきた。(中略)。音楽心理学は、この領域における空白を埋めることができた。子どもにとって、理屈ではなく体験したものは、もはや疑問ではないのである。
最初にたくさんの歌を歌い、音の響きをまずは体験した上で、後から音程に関する知識を与えていくという教育手法は、上記のような問題意識と考えに基づくものなのですね。
単に楽譜上で知識として音の幅を見極めるにとどまらず、響きの感覚と連動させること。
これはとても大切なことだと思います。
音楽を学ぶ人の中にも、楽譜をみれば知識として何度の音程かということは答えられても、それがどんな音の響きなのかを頭の中で想起したり、体感的に習得してきたものとうまく結び付けたりすることが難しくて苦労している人はいるのではないかと思います。
そういう意味でも、理論と感覚とが一体化することを念頭においたウィレムスの『音程の歌』の教育プロセスは、音楽を学ぶ全ての人にとって大変意義深いものであると感じます。
それと同時に、実はこの教育手法について少し不安に感じる点もあります。
音程の知識をある一つの歌と結び付けて覚えることによって、子どもたちの音程に対する感覚を画一的なものにとどまらせてしまわないか、という点です。
いうまでもなく、ある一つの音程でも、それぞれの曲の調性や曲調、文脈によって、色々な性格を持っていますよね。
その多様性に、この教育で育った子どもたちがどこまで対応しうるのかについては未だ疑問も残っています。
あるいはそうなることを想定して他のアプローチも行われているのかどうか。
私がこれまで見てきたウィレムス国際会議やウィレムス国際セミナーでの公開レッスンというのは、いわゆる「見せる場」での「よそ行き」の実践なわけですので、こういった現実的な課題にまでは踏み込めていません。
この点を明らかにすることについては今後の課題です。
まとめ:『音程の歌』を指導する上で留意すべきこと
これまで見てきたことを、簡単にまとめます。
第1段階と第2段階の、ひたすら歌う期間には、子どもたちが楽しく歌に親しむことがもっとも重要です。
それらの歌が「音程の歌」であることとか、ましてや「完全5度の歌」であることなんて、間違っても教えてはいけません。(それは第3段階になってから)
子どもたちの音楽に対する興味を引き出し、維持して高めていくために、どの段階で何をどのように与えるべきか、また、その順番を厳密に守らなくてはいけないことについては、ウィレムスは複数の文献の中で何度も書いています。
前回の記事にも書きましたが、歌の実践に限らず、導入期の指導においてとにかく大切にしなくてはいけないことは、子どもたちが音楽を好きであることと、それを学ぶことに「喜び(joie)」を感じられることなのです。
これからも強調していくことになると思いますが、ウィレムスの音楽教育では、まずこの点が大切になります。
余談ですが、ウィレムスの実践に触れている子どもたちは歌が大好きで、レッスンの場であってもそうでなくても、これらの曲集に掲載されている歌を日常的に口ずさんでいます。
みんな楽しそうで、その様子はとても良いなぁと思っています。
良い面も課題となりそうな面も、どちらにもしっかり目を向けて引き続き研究していきたいです。