「聴く力」を育てる音楽教育

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エドガー・ウィレムスの音楽教育研究

微分音鉄琴が誕生するまで

先日入手した楽器の一つ、微分音鉄琴。

 

kazuenne.hatenablog.com

 

ウィレムスの音楽教育実践を語る上では不可欠なアイテムですが、この楽器がどのように誕生したのかについては海外で実践しておられる先生方の間でもあまり知られていないように思います。

今日はこの微分音鉄琴が誕生するまでの背景をご紹介してみたいと思います。 

 

...と、その前に、「そもそも微分音鉄琴って何?!」という方は、よろしければ以下の動画の音を聴いてみてください。

 


Glockenspiel intratonal Sopranos

 

ちなみに、私が今回購入した微分音鉄琴はこちら。

 

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これは、ソードの完全4度音程が24の鍵盤に分かれています。

全ての鍵盤が、同じ大きさ、重さ、厚さになっていて、見た目では音の違いが判別不能です。

一度並べ替えたら最後、正しい並び順に戻すには集中して音を聴き分けるしかありません!!

 

...なんていうのは冗談で、実は鍵盤の裏側には音の並びがわかるように数字が書かれています。 

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永遠に正解がわからなくなってしまっては困りますものね...。

  

前置きが長くなりましたが、そもそもウィレムスはなぜこんな楽器を考案するに至ったのでしょうか...?

今日はその経緯についてご紹介してみたいと思います。

 

ウィレムスが「微分音鉄琴」の考案に至った最初のきっかけ 

そもそものきっかけは、ウィレムスが教えていた学生が歌を歌う時になかなかピッチが合わなかったことによるそうです。

その学生は音階の音と音の間の音を歌っていて、直すのにとても苦労していたとのこと。

それを知るために、そしてそれをコントロールするために、ウィレムスは綿密に研究しようと試みました。

1926年から学生たちを巻き込んでの一連の研究が始まり、結果的にそれが聴覚育成の観点から非常に良い結果をもたらすものであることを発見したようです。

この仕事は新しく特徴的なものであり、それを表す言葉が必要でした。

(それまでにフランス語で「微分音」を意味する言葉が果たして本当になかったのか、私にはわかりません。ご存知の方がいらっしゃいましたらぜひ教えてください。)

ウィレムスはこのことについて、1931年に 'espace intratonal' という独自の用語を作り出しました。

これは、一つの全音(例えばドーレ)の間の音を意味しています。

つまり、日本語では「微分」と呼んでいるものですね。(それはそうと、日本語におけるこの呼称もいつごろ誕生したのでしょう?)

それは無限に小さい「パンクロマティックサウンド(音の振動のスケールにおける途切れのない連続)」であるため、それらを聴き分けるには非常に繊細な聴覚が求められます。

例えば、ある人は木の葉の赤色とオレンジと緑色の間の多くの色を認識することができますが、他のある人には二つ三つの色にしか見えないということがあります。

同じように、繊細な聴覚は数百分の一の音の違いを知覚することができますが、発達の遅い聴覚は8分の1の音の違いを知覚するのがやっとです。

微分音は、自然の中で、そして日常生活の様々な場面で出くわします。

例えば、風の音、動物の泣き声、鳥の歌、小さな子どもたちの発語、笑い声、オノマトペ、言語のイントネーション、詠唱、機械の音など...

音の高さにおけるこれらの微妙なニュアンスを知り敏感になることは、世界中のあらゆる音や音楽に対する認識と理解を高めることになることを、ウィレムスは説明しています。

 

楽器の開発に向けた取り組み

こうした微分音に対する認識の重要性の発見から、ウィレムスは1927年、微分音が出せる楽器の開発を始めます。

実践的な感覚とそれまでのものづくりのスキルを頼りに、情熱をもって根気強く、ついに全音(長2度)を9〜17の音に分割した「微分音の鐘」の最初のシリーズを完成させました。

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1930年には、次なるアイテムとして「微分音のオーディオメーター」を作りました。

この楽器については写真が残っていなくて、どういうものか私にもわからないのが残念です。

これは「微分音の鐘」よりもさらに細かな微分音が出せるように作られたもので、普通のハーモニウムをユニークな形に変えることによって「百分の一の音」を出せるようになり、さらにその後には「二百分の一の音」まで出せるように調整されたようです。

本当に?!ってくらい細かいですが...そこまで細かな微分音とはどんな音だったのか、気になります。

1931年、ウィレムスはベルンの音響学者、G. Fueterの発見の後に「ピタゴラスのモノコード」に影響を受け、13の同一の弦がCにチューニングされているソノメーターを組み立てました。

こうして音高を細分化する試行錯誤の過程で、ウィレムスは自分自身が純粋に感覚的な領域を扱っていることに気づきました。

微分音の領域では音名や音階を考慮に入れることができないため、知識は限られた役割しか果たさない、ということです。

 

微分音の鐘」から「微分音鉄琴」へ...

微分音の鐘」の開発は、長期的に大きなインパクトを与え、ウィレムス自身によって作られた少量のストックはすぐになくなってしまいました。

その後も非常に多くの指導者がこの鐘を欲しがったため、商品としてより硬い金属から作られた何千もの小さな鐘を生産することが必要になりました。

しかしその生産は、すべて耳で行うしかなかったとのこと...!
どれだけ大変かは想像に難くありませんが、実際にウィレムスたちは一連の9つか17つの鐘で全音を作り出すことに何百時間も費やしたようです。

このため全ての注文に対応することは困難で、さらに自分たちが望むような精度は簡単には得られないという不満も蓄積されていきました。

このことについてウィレムスは、「耳のための優れた訓練、しかしそれだけで人生を過ごすことはできません!」 と述べています。(そりゃそうですよね)

 

それゆえ、より実用的で、携帯可能で、それほど高価ではなく、その上で完全に正確なチューニングの、最大限の教育的可能性を提供する楽器を作成することが必要になりました。

こうした紆余曲折を経て、全音の1/1、1/2、1/4、1/8、1/16の調律法に従ってチューニングされた最初の鉄琴が生まれたのです。

このチューニングについても詳しく記述があるのですが、また機会を改めて、書けたら書いてみたいと思います。

 

同時代の微分音研究に関する情報

ここまでウィレムスの微分音鉄琴開発に到るまでの道筋をご紹介してきましたが、ウィレムス自身は、同じ頃、微分音を開発した、あるいは使用した事例についても言及しています。

アメリカでは音楽心理学者のシーショアが、音楽家の聴覚の鋭さや緻密さを検証するために記録された微分音を使用していました。

フランスではモーリス・マルトノが、1928年、彼の名を冠した音楽電波の楽器=オンド・マルトノを生み出しました。

これにより、とりわけ、パンクロマティックな音の動き、ひいては非常に微妙な音の分割が可能になりました。

マルトノは日本ではオンド・マルトノの開発者として知られていると思いますが、実は独自の音楽教育を開発した人物でもあり、海外のものではダルクローズやコダーイ、オルフ、ウィレムスのメソッドと並んで紹介している文献も多数見つかります。

もしご興味のある方はぜひ調査してみてください!